オカダ・システムエンジニアリング研究所 車輌部 |
私は国産クラシックカーのファンで、車のデザインには非常に興味を持っています。
デザインが単に格好いい車ならば数多くありますが、美しいデザインの車は限られています。皆さんは美しい車というものをどのようにお考えでしょうか?
私が現在所有している車輌を紹介します。
<< 平成24年10月14日に入庫した車輌>>
コマツ バックホー PC28UUー2
バケット容量 0.07m3
輸送重量 2,090kg
輸送寸法 L3,940×W1,520×H2,400
エンジン ヤンマー製 3D82 1,429CC 24PS 直噴ディーゼル
狭いところでも悠々と動き回る、超小旋回型 (このギャグ、分かるかな?)
新車価格 ここを御覧下さい(中古で買ってから分かったが、高くて驚いた!)
中古でエンジンの劣化が激しいのですが、動作系には大きな問題がないため、冬期間の除雪を目的に購入したものです。
年寄りに笑われそうですが、それほど高齢でない私でさえも最近3年間の豪雪で、家の周りの除雪はもう嫌になりました。大量の積雪を少ない家族で人力移動させるという作業に限界が見えただけでなく、、ロータリー式の家庭用除雪機を使用しても全く役に立たない程の雪害に見舞われた家庭を何件も見てきたからです(そのため、私の家では今までに除雪機を買ったことがありません)。こうなるとバックホーまたはブルドーザーを使用するか、除雪作業を業者に委託するしかないのです。
そこで、夏期は農作業にも幅広く活躍できるバックホーを購入することに決めました。現在までに、
・ 作動油を補充!
・ 前照灯電球切れを確認。 LED作業灯を設置!
・ ファンベルトを交換!
・ グリースニップルの破損箇所を交換しました。
・ 業者に修理に出し、冷却回路の不具合、ブームシリンダー、アームシリンダーの作動油漏れを完全に修復しました。
・ エンジンオイルを交換し、GRP潤滑剤を添加しました。
GRP潤滑剤:
高性能潤滑剤として各種産業で広く使われているオイル添加型潤滑剤。
これを使用すると、劣化の進んだエンジンの性能を回復し、寿命を延ばす効果があるとされています。
私はバックホーと軽自動車に使用してみました。
バックホーは運転時間が長く、排気に刺激臭や白濁があり、エンジン音もこれがディーゼルエンジンかと思わせる程の異音を出しているという酷い状態でしたが、エンジンオイルを交換しGRPを5%添加したところ、15時間程度の運転でヤンマー製のディーゼルエンジンらしい排気臭と動作音に戻りました。
軽自動車では、走行距離61,000kmの車輌でエンジンオイルの全交換を行った際にGRPを5%添加しました。
私は、この車輌については燃費を統計的に計測しておりますが、GRPの添加後に燃費やエンジン性能の向上は走行距離103,000kmを経過しても確認されていません。
<ほかに、日常の足に三菱ekワゴンを所有しています。>
リアワイパーもサンバイザーも無い、珍しい最低グレードの3速AT車ですが、燃費は17km/L以上をコンスタントに記録します。
(↓ 主な、過去の所有車 )
* 平成6年式 フォード・リンカーン・マークVIII 4600
平成8年の6月から平成15年7月まで所有していた車です。
私はある時期まで、外車にはデザインの美しい車は無いなと思っていました。しかし平成5年に志賀高原で’90年モデル(当時の新型)のリンカーン・タウンカーを一目見た時、あまりの美しさにそれまでの考えが急転し、次に買う車はリンカーンしかない!と決心しました。
そして私が選んだのがスポーツタイプのマークVIII。ボディーカラーは赤と決めていました。マークVIIIには赤以外に似合う色が無いと考えたからです。
排気量4,600ccのこの車は、国産高級車など相手にならない強力なトルクを持っていました。エンジン回転数が2,000RPMを超えただけで凄まじい暴れ方をしました。私は通常800〜1,200RPMで走行しており、信じられないでしょうが燃費は11〜12km/リットルでした。更に優れたところは、車軸の摩擦抵抗が著しく少ないことでした。このクルマではDレンジでエンジンブレーキは全く効かないとも言えるほどでした。路面にわずかな勾配があれば、アクセルを踏まなくとも惰性でドンドン加速していき、燃費の節約になりました。これも国産車には無い大きな魅力でした。
しかし、維持費用がかかり過ぎたため売りに出してしまいました。きっと今もどこかでその威光を輝かせていることと信じています。
* 昭和61年式 日産 セドリック 2000SGL
昭和63年から所有していました。
私の若き頃の思い出が詰まった、懐かしのバブルカーです。
当時私は富士通系の半導体生産工場で技術者として勤務していました。年齢相応で給料はそれほど高くはなかったですが、残業・休出で思いっきり稼ぎ、節約に励めばこの会社では誰でもこの程度の高級車は中古で手に入れることができました。
私よりも下の役職の、工場勤務の高卒の若僧でも、夜勤三交代で潤沢な手当がもらえたので、、300万円を超える高級車を新車で買う程度はおろか、派手な改造を競い合い、楽しんでいたという時代です。
その後平成9年まで乗った後は登録を抹消し、いつかまた公道を乗り回せることを夢に見ていましたが、金銭的な諸事情がありまして売りに出しました。
私が次に狙っているクルマ!! |
究極の 国産ラグジュアリー・スポーツク ラウ ンM S7 0(昭和46年式、2ドアHT)
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MS70の前にMS70無く、
MS70の後にMS70無し!!
(トヨタは、このボディーカラーを「緋縅(ひおどし)」と名付けた。)
このクルマには、いや、
このクルマにこそ、
人間が創造できる限りの美しさがある!!
二枚目は、背中に色気を漂わす。
あの少林サッカーチームも驚いたとか?
完美無欠!我不得不尊敬!!
(完全無欠だ!尊敬するしかない!!)
ウオオオオーッ!! ハルヒの痛車だ!!(画像はMS60です。)
・505というナンバーは、SOS団を意味しているのであろう。
(フロントガラスへのステッカー貼り付けは、危険ですのでやめましょう。)
陸 の 巡 洋 艦
王者皇冠(クラウン)!
私がAdobe Illustratorで作成したMS70の画像です。クリックすると詳細画像が見られます。
↓ クリックすると詳細画像が見られます。(精巧な描述に、見てビックリ!)
粗削りで挑戦的な 前期型 → |
フォーマルな趣の ← 後期型 |
私が過去の国産車のデザインの潮流を眺める時、排ガス規制によるモデルチェンジが行われる直前の昭和49年が大きな転換期になっていると考えます。そこで昭和49年以前の日本車で最も美しい車を挙げるならば、私は上記の昭和46年式のクラウンMS70(クジラ型2ドアHT)と答えます。この車の稀少価値は、クラウンというモデルにして2ドアという特異性です。外観は4ドアモデルに比べてスポーティーで、且つトヨタ自動車の生産体系の頂点に位置付けらた高級車という価値を決して損なわない形状にまとめられており、フロントの形状も4ドアの丸目4灯に対して大形角目の2灯となっており、グリルのデザインにも明確な相違点があります。御覧の様に、リアビューも70年代の車らしく、若々しいイメージにまとまっています。私はこの車のすべてを愛しています。この車との出会いがなかったら、2ドアセダンであるリンカーン・マークVIIIに興味を持つこともなかったでしょう。 この車には、日本車のデザイン文化が躍動していた1970年代の私の思い出が詰まっています。当時私は小学生でしたが、近所のお兄さんが初代コロナマークIIに乗っており(なんと、今でも乗っている)、その美しさに憧れました。MS70はたまにしか見ませんでしたが、ちょっとお金持ちのお兄さんが乗っていたように覚えています。 |
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なお、前期型のフェンダーミラーは、車体が紡錘状の流線型(トヨタはこれをスピンドル・シェイプと名付けている)であることに合わせて先の尖った形状になっており、このモデルのクラウンが歩行者をミラーで引っ掛けて死亡させるという事故が発生したため、このモデルは「クラウン・殺人ミラー」と言われたとの話も聞きます。なるほど、後期型ではフェンダーミラーの形状が一新されていることも上記のイラストがこの事実を語っています。 | |
ここで皆さんにお願いですが、クラウンMS70に関するあらゆる物を譲って下さい。実車(不動車も可)、パーツ、画像データー、写真、雑誌記事の切り抜き、何でも結構です。高価なものについては、価格は応談とさせていただきます。また、このページへの御感想などがありましたら私にメールで連絡を下さい。 |