雪国黄精の

オカダ・システムエンジニアリング研究所
SE部の足跡(そくせき)
 

*昭和57年6月
 高校在学中に始めたパソコン用ゲームプログラムの開発が、当研究所の創業である。

*昭和58年4月
 世界初、コンピューターと対戦できる3人プレーのグラフィック花札ゲーム「三人花札・八八」を開発。機種はPC-8801。(販売:セントラル教育ソフト)
「1984年発売のゲーム」というWEBサイト(現在は存在しない)で過去に紹介されました。
 この後、コンピューターのハードウエア技術者への道を志し、アプリケーションプログラムの開発作業を休止しました。

シンプルな?タイトル画面。当時はこれでもヴィヴィッドな方だった
製品パッケージ ゲーム中の画面。短冊の文字までもが忠実に再現されている。


 こんな昔のゲームをWebに記録、保存して下さった方がいらっしゃったことに感謝しています。私でさえもオリジナルを紛失していた位ですが、今見ても「1ドットたりとも無駄にせず」手作業で作成に挑んだ花札のグラフィックパターンや、機械語を駆使してコンピューターの速度の限界で作動させた思考プログラムと札の表示ルーチン、スピーディー且つスリリングなゲームの展開など、100%すべてタイトル画面の「A perfect HANAFUDA Simulant game」に恥じない物だったと自負できる自信作でした。
 当時の雑誌「Oh!PC」でも紹介されました。

 当時のグラフィック花札ゲームと言えば「コイコイ」というコンピューターとの一対一の勝負をする物しかありませんでした。コンピューターが勝つか、人間が勝つかというだけのもので、すぐに飽きの来るものでした。また、花札のグラフィックパターンのデザインに美的センスがなく、プロの製作チームが開発に当たったにも関らず、外観の素人臭い作品ばかりが横行していました。私の作品は、このような低レベルの花札ゲームの開発競争にとどめを刺すことを目的に開発されたものでした。

*昭和60年
 米乾燥機の温度を遠隔地へ伝送するシステムの開発、実用化
*昭和62年
 世界初、車載専用万能電光文字表示装置Mislead-1の開発、実用化
 これは、12Vの車載用バッテリーで160×16ドットのLEDマトリックスを自由自在に点灯させ、自動車後方に電光でメッセージ及び動画を表示させるというものでした。CPUにはZ-80を用い、CPUから表示ユニット前段インターフェイスへのデーター転送速度を上げるために、DMAを使用していました。LEDのダイナミック点灯方式では、データー転送時は一時的にすべてのLEDを消灯させなければならないため、このデーター転送時間を極限まで削ることが輝度アップにつながることを考慮しての回路設計でした。
*平成元年
 インテル社i80196CPU用ソフトの開発支援装置を開発、実用化
 マイクロプロセッサーの組込み機器への応用に興味を持った私は、簡単な回路構成でパラレルI/Oの制御が可能なi80196CPUに興味を持ち、ホストコンピューターにアセンプラー、逆アセンブラーを置き、シリアル接続したi80196のターゲットシステムをリモートデバッグするシステムを開発し、その後の開発環境を整えました。
*平成3年
 消防サイレン自動鳴動装置の開発、実用化
i80196CPUの応用開発機器で、自動で定刻にサイレンのコントロールを行うシステムでした。
*平成7年

 Power Macintosh、スキャナー、業務用昇華型カラープリンターを導入し、画像処理業務に着手
*平成8年
 インターネットを利用し、世界に向けて情報を発信する。
*平成11年
 Power Macintosh G3 300を導入、画像処理業務のパワーアップを実現。
*平成12年
 妻:岡田明鑫が研究所長に就任、業務のアシスタントとなる。
*平成13年
 中国語検定試験3級合格、中国からの輸入品の販売事業を開始。
*平成15年
 中国語検定試験2級(当時の名称は准2級)合格、宅地建物取引主任者試験合格。
*平成16年
 雪国黄精の大量発芽栽培に向けた投資と実験を開始。
*平成17年
 約20年振りにソフトウエア開発業を再開。MS Visual Basic .netを使用したwindowsアプリケーションの開発を行う。
*平成23年
 雪国黄精の次世代商品となる、雪国黄精G2を発表する。
*平成26年
 山岳部の活動を開始する。

( 代表者の自己紹介 )

岡田 雅人  昭和4x年8月生まれ

血液型   B型

好きな物  納豆御飯(酒は嗜みますが、タバコや肉類は一切口にしない。)

嫌いな物  アンギモ、おから、ブドウパン

特技    半田付け

体験談   5歳で新聞を黙読し内容を理解するようになる。6歳の時に女教師2人にいじめられて、プールで溺死させられる。この時に臨死体験をし、人生を悟る。
       22歳位の時、近所で初老の男性が行方不明になる事件があり、数日経ってこの男性が側溝に嵌まって死亡している場所とその状況を夢に見た。この翌朝男性が遺体で発見されたが、その場所と発見時の状況は夢で見たものと一致していた。
       その後の私の人生に、特に変わったことは無い。

好きな言葉 「諸君、私は酒もタバコもやらないし、肉類なども一切口にしない。いいか諸君! こうすれば! 普通の人間よりは! 10年長く生きられるのだ~っ!!」(アドルフ・ヒットラー。後に、この言葉は「ヒットラーの超能力健康法」として知られるようになる。)

その他  家庭用ゲーム「ファイナルファンタジーXII」のプロデューサー、ディレクター、シナリオを担当した松野泰巳(元、株式会社スクウェア・第4開発事業部部長)とは中学、高校の同学年生である。学校での成績は、私の方が少し良かった。


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