雪国黄精の
平成28年夏 八ヶ岳高原線 日帰り周遊の旅
平成28年8月7日

 今年の1月から計画していたのは、夏の盛りの時期にJR小海線(別名:八ヶ岳高原線)を丁度30年振りに乗車することでした。
 30年前の乗車とは。東京からの帰りに小海線を使って帰宅した時のことです。これも8月上旬の盛夏でした。鮮やかな緑のトンネルの様な高原の森林を気動車が走り抜け、下りた野辺山で避暑を楽しんだのを回想し、同じことを再びやってみたくなりました。

 自宅を5:15に出発し、えちごトキめき鉄道(略してトキ鉄)、関山駅から5:54に乗車後、妙高高原駅でしなの鉄道に乗り換え、長野駅から北陸新幹線で佐久平駅へと、自宅からの最速コースで小海線エリアに到着しました。
 小海線は最近になりハイブリッド気動車が世界で初めて投入され、「わくわくエコランド」とというJRのキャッチコピーが付けられていたことも、私の行動意欲を刺激しました。
 途中、中込駅で列車終点のため途中下車を挟み、JR最高の標高地点にある野辺山駅に9:53(関山駅から約4.0時間後)に到着しました。
 30年前も駅舎はこうだったか、良く覚えてはいませんが、附近の土産物店には各種の「野辺山グッズ」と呼ばれる記念品類が販売され、私も2~3点を購入したのを覚えていますが、現在はさびれた商店があるのみで客も少なく、野辺山グッズにお目に掛かることもできませんでした。



 今回の旅行目的のメインは、3週間前に登頂した八ヶ岳(赤岳)の姿を眺めながら清里までの高原リゾート地帯を徒歩で移動するという楽しいウォーキングでした。
 山の風景を見る際、その山に登頂したかどうかは私にとって特別に重要な要素です。「あの山は美しいが、自分には登れるだろうか?」と考えるよりも「あの山に登ったのだ!」と、その時の苦労と感動を思い出しながら風景を眺める方が遙かに気分が良いからです。この旅行をする前に赤岳に登頂したというのは、計画通りの行動であった訳です。

 画像は野辺山駅前の国道141号で、赤岳に向けて直線状に車道が続く地点です。ここから6kmを清里駅に向けて歩きます。
 天候は予想以上に良く、私が登った杣添尾根登山道からの横岳、硫黄岳も含めた最高の眺めが見られました。
(山の天気は、夏では昼過ぎになると雲が掛かったり雨が降り出すので、自宅から可能な限り早く到着するということには、意味があるのです。)




 国道141号を歩いて40分ほど経過し、山梨県との県境を越えました。標高1,370mの地点ですから、高速度のウォーキングをしても僅かな汗をかく程度です。
 林の間から見え隠れする八ヶ岳の姿を見て、何度か足を留めながら清里駅を目指して緩い下り坂を歩きます。
 途中、野辺山天文台の大きなアンテナも見えました。

 野辺山から歩き出して約80分。清里駅周辺に到着しました。途中の美しい風景で数回足を留めていたので、6kmを歩くだけでこんなに長く掛かってしまいました。
 清里駅前に来たのは今回が初めてです。
 バブル期に賑わった清里の面影を見せるような廃墟と化した建物も、駅から少し離れた所にありましたが、小海線最大の観光資源としての価値は薄れていません。臨時列車も増便され、多くの観光客が下車して駅周辺を散策していましたが、それでいて静かで、爽やかな高原の市街地でした。

 

 清里駅から、小海線終点の小淵沢駅に着いた後は、まだ時間が12:09だったので中央本線に乗り甲府駅までを往復乗車しました。
 甲府駅前の市街地は商業施設が充実しておらず、特に観るものも無かったので、駅ビルで軽食を買い、到着後50分ほどで小淵沢方面行きの電車に乗りました。

 その後は普通列車で岡谷~みどり湖~松本と移動し、松本から長野までは特急しなのに乗車しました。この日の午後は中央本線でダイヤが乱れ、この特急しなのも名古屋方面から十数分遅れて長野に到着しましたが、JR社はしなの号を東海方面からの旅客の重要な輸送手段と位置付けているようで、何と北陸新幹線の上下3本(うち一本は、かがやき号と思われる。)がこの列車の到着を待ち、接続の便宜を図っていたのには驚きました。
 帰宅は、20:50頃になりました。

 この日、家で眠りに就こうとしたところ、夜の気温がこの夏の最高でした。帰りの中央本線の電車内も暑かったですし、一日家にいたらどれだけ不快だったかと思います。一方、小海線はとても快適な避暑路線でした。ただ、ハイブリッド気動車は全線で運行されている訳ではなく、乗ることができたら幸運と言える位の本数しかありません。私は、佐久平から中込まで偶然に乗車することができました。

  わくわくエコランド 小海線のイメージキャラクター
  こうみくん & ぶりっとちゃん  (C) JR東日本


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