雪国黄精の
平成21年 桂林・上海8泊9日の旅 (2/2)
---------- 陽朔は、もう懲り懲り編
 平成21年2月11日。
 この日の針治療は、前日よりも針を深く入れているとのことで、痛みを感じましたが、刺激が強い分治療効果があるということで、少し我慢しました。初日で腰の痛みがほとんどなくなった後は、先生方のおっしゃる通り痛みの再発はありませんでした。
 治療を10時に終え、妻は上海の親戚へのお土産の購入、私は飽きもせず露天市場の散策へと、12:00まで別れて街へ出ました。食料品市場の路頭では、左の画像の通り、屠殺して血抜きをしたイヌ君を火あぶりにしている状況を観察して撮影しました。この向かい側ではネコ君を屠殺している最中でした。
 日本には犬肉を食べる習慣がなく、犬が可哀想だと猛反発する人が多いですが、そのような人は家畜の肉を食べるのは何とも思っていないのでしょうか。私達夫婦は菜食主義なのでこういう問題には公平な立場ですが、食に供される動物たちはどれも可哀想です。せめて平等に扱い、憐れんであげましょう。できれば肉食を止めましょう。そうすれば動物の食料にすべき穀物が人間の口に入り、食肉生産のために消費されるエネルギー発生分の温室効果ガスが削減できるのです。

 午後からホテルを出発し、桂林行きの路線バスに乗って途中の陽朔で降りました。
 陽朔一帯は、桂林の風景を観光する旅行客が必ず訪れるスポットです。
 左の画像が陽朔の市街地で、外国人旅行客が利用する施設が充実した街になっていますが、私にとっては全く興味の無い場所でした。主な理由は、これだけあります。
・ホテルや売店には横文字の看板が並んでいて、中国に来ているという感覚が削がれた。
・喫茶店でアメリカンロックを流していたし、ファストフードの店が多かった。中国でピザやパスタ、コーヒーなどは飲食したくないのに。
・桂林と全く関係のないチベット物産(装飾品など)がやたら多い。
・ブルース・リーのTシャツなど、横浜中華街でも買えるものばかりで、商品に何も興味が湧かない。
・旅行客相手に吹っ掛けた価格で販売している。
 女房も、こういった外国人(特に欧米人)旅行客目当ての表面的装飾を施した光景に大した興味を示すこともなく、私も不快感を示しているのを理解し、食堂で米粉(麺料理のこと)と餃子を注文し、テイクアウトしてさっさと市街地から離れました。




 次に、奇岩の風景を舟に乗って鑑賞できる遇龍河という所の川下りコースに移動しました。
 ここから竹筏に乗り、船頭さんが舟を漕ぎ、観光ガイドをしてくれます。
 筏乗り場で管理人に料金を払い、舟に乗ろうとすると「やはり!!」例のアレが来ました。邪魔な物売りです。わざとらしい汚い身なりの老婆が近づき、汚いミカンを5元/500gで買ってくれとしつこく頼んでくるのです。私は、この様な物売りはどこにでも高頻度で現れることを予想していましたし、いちいち金を払っていたら財布が空になってしまうので、すべて毅然たる態度で断るつもりでいました。しかし女房は最初から老婆の情けに負けてミカンを買ってしまったのです。さっきの陽朔の街で不愉快な思いをした上にまた追い討ちをかける様な物売り。急いで舟に乗り、これから終点までの2時間は、美しい風景を見て嫌なことも忘れようと、気持ちを切り替えました。16:40でした。
 舟に乗ってから約10分後。女房と餃子を食べ始めると、河の上に舟が浮かんでいて、これもビールとツマミを売る物売りでした。一切無視。
 川下りの途中、水面を調節するために計9箇所の擁壁が作られており、これを乗り越えなければなりません。私達乗客は舟に乗っていたら擁壁を越えることができないので、一時舟を降りることになります。船頭さんも舟から降り、重い竹筏を一人で曳いて移動させるのですが、余りの重労働であることを見て私達が手を貸してやると、「大丈夫だよ。ありがとう」と断りましたが、川下りの終点まで私達は船頭さんの仕事を手伝ってあげました。
 途中、物売りは計3箇所で私達に付き纏い、そのうちの1箇所でもまた女房が金を払っていました。
 ある1箇所では、2人の老女の物売りが現れて私と女房を別々に標的にしてきました。キッパリと断って舟に乗った後、このうちの一人の老女は私達を憎しみの表情で睨みつけていました。
 更に進むと、30m位先のほかの舟の上から、若い女の子2人が私達を写真撮影しているのです。15m程接近したところで舟にパソコンが積んであったのが見えたので、私は彼女らが何であるか分かりました。彼女らも物売りのギャングなのです。
 私達は要求もしていないのに、この舟の横に停泊させられ、さっき撮った写真をその場で印刷するから30元で買ってくれと、これもまたしつこい催促を受けました。私は始めから一切の物売りには応じるつもりはなかったのですが、またも女房が負けてしまいました。
 彼女らの舟にはデスクトップパソコン、ブラウン管ディスプレイ、エプソン製のカラーインクジェットプリンターとラミネーターが設置してあり、車載用バッテリーからDC-ACインバーターを通してパソコン類を駆動させている様に見えました。ギャングは女性3人で、パソコンのオペレーターが1名、カメラマン兼営業が2名と役割を分担させていました。船頭さんは、申し訳なさそうな顔をして物売りギャングの舟の片隅で水筒に入った水を飲み、休憩していました。恐らくここの川下りは船頭さんも物売りも、村全体で展開しているビジネスなのでしょう。そうでなければ私達の舟は停泊しないはずです。
 私達は彼女達の熱心な営業態度にも感心しながら川下りを楽しみ、日の暮れる頃終点に到着しました。ここで私達は、相談して決めた50元のチップを船頭さんに渡すと、彼は言葉少なに感謝し、チップを受け取ってくれました。
 さて、先々で嫌な目にあった陽朔には、もう懲り懲りですが、船頭さんの明るく熱心な勤務態度には敬服し、感謝しています。本当にありがとうございました。
 平成21年2月12日。
 私の腰痛治療の最終日です。いつも通り整体と針治療を受け、5日間お世話になった先生方に篤くお礼をして別れました。
 露天市場巡りだけでこんなに私達を楽しませてくれた茘浦の街ともお別れです。
 前日に見たテレビ放送では、私達の泊まったホテルのある茘浦市街の茘柳路に、国内外の投資を呼び込み、中国最大級の大型デパートを造る計画があるのだという。デパートの完成想像CGもテレビで放映されていて、度肝を抜かれました。本当に完成したらまた茘浦に来てみたいです。
 なお、茘浦は地元特産の「茘浦芋」とハンガーの生産が盛んな所です。茘浦県全体でのハンガー工場の生産能力は6億本/年で、これは中国のトップシェアであり、日本で私達が使用しているハンガーも、もしかして茘浦産かも知れません。
 この日は茘浦から上海への移動日でした。12:55に茘浦発桂林直行の路線バスに乗り、途中高速道路の危険箇所で「アミドフー!」を唱えて無事通過することができました。
 バスは14:40に桂林バスターミナルに到着し、私達は桂林市内の王城という観光地を見学しました。
 王城は明代の靖江王府跡を解放した観光スポットで現在は一部が広西師範大学のキャンパスになっています。左の画像は、ここにある独秀峰という奇岩の頂に登って市内の風景を撮影したものです。
 王城は17:00まで観光し、市内の食堂で夕食を摂り、さらに1食分をテイクアウトして上海行きの機内で食べることにしました。
 19:00にタクシーに乗り、桂林西江国際機場(空港)に19:45に到着しました。
 上海行きの春秋航空9C8806便は出発時間が23:10と遅いので、待合室で休むことにしました。左の画像は桂林西江国際機場の待合室です。
 搭乗直前にトラブルが発生しました。
 到着空港が、上海浦東から上海虹橋に変更になったのです。私達は予約してあった上海浦東付近のホテルをキャンセルしました。
 1:40に着いた上海虹橋国際機場は、路線バスが23:00で終着になってしまい、空港周辺のホテルも満室で、今回は路上で客引きをするホテルの紹介屋の世話になることになりました。
 宿泊するホテルが決まっている時の紹介屋は御節介なものですが、このような非常事態の場合は、手数料無しで安い空き部屋を手配してくれる紹介屋は便利です。
 紹介屋に指示されて空港から5分位歩くと、予約を取ったホテルの送迎車が来て、10分位で上海尚隆商務酒店というビジネスホテルに到着しました。2:30という遅い時間でした。
 平成21年2月13日。
 ホテルを11:00にチェックアウトし、上海市街で親戚にお土産を買い、市内にある義祖母のマンションを訪ねました。義叔父も私達との再会を喜び、迎えに来てくれました。
 18:00頃、少し時間をもらい、私一人で恒例の「欧尚スーパーへの食料品の買い溜め」をして来ました。合計10kgを超える大量の珍しい食料品を買い、日本へのお土産は用意できました。
 その後、義叔母のマンションに行ってお茶を御馳走になりました。
 左の画像は、このマンションからの蘭州路の夜景です。蘭州路と交差する長陽路沿線は高層マンションが立ち並ぶ住宅地です。翌日昼は親戚が集まっての会食が予定されました。
 平成21年2月14日。
 10:30から、上海市内に住む親戚一同の会食が、近くの食堂を貸し切って開かれました。とてもおいしい料理とお酒(店のオーナーは、当店オリジナルの米酒と紹介していた。シャンパンの様な発泡性の甘口の酒だ。)を味わいました。親戚の中には、私と数年振りの再会になる人もいて、お互いに元気な面会ができたことを喜びました。
 この後、私と女房は市内の上海書城と新世界デパート、人民広場地下街で最後の買い物を楽しみ、ホテルに戻りました。上海書城では、Adobe Illustratorの解説書を2冊購入しました。日本では未だに知られていないと思われるIllustratorの応用テクニックも幾つか掲載された貴重な書籍です。
 左の画像は新世界デパート付近で夕方に撮影したものです。この約100m先の右側が上海最大の商店街である南京路です。昨今は世界同時不況といわれていますが、上海市のこの場所での人通りの多さは、私が今までに見た中で最高でした。特にこの日はバレンタイン・デー(中国では情人節)で、デートに繰り出す若い男女が目立ちました。


 平成21年2月15日。
 6:00に義祖母の家を訪れ、朝食を御馳走になりました。次回も元気な再会ができるよう祈ってのお別れです。
 女房は中国にしばらく滞在し、私一人が帰国する予定でした。
 女房が上海浦東国際機場まで見送りに同行し、上海ともお別れです。しかし、私達の乗ったタクシーが空港に着くと、やけに一般車の台数が多く、駐車スペースが見つかりません。やっとタクシーを降りると、国際線乗り場が異様な熱気に包まれていました。何やら芸能人の来場で、若い女の子の追っかけに遭遇したようです。
 芸能人は、一般人と同じ駐車場で車から降り、護衛の数人の男性に囲まれながら、黄緑色の頭巾の様なものを被り、サングラスをかけて真っ直ぐに出国検査のカウンターに向けて歩いて行きました。この間、わずかに2分位でしたが、この芸能人の来場を知って待っていた1000人程度の若い女の子がどっと押しかけ、大歓声を上げたり、接近して写真撮影をしたりで大騒ぎになりました。
 この芸能人は、韓国の男性グループ「SUPER JUNIOR」の13人のメンバーの一人で、オーディションで中国から選ばれたハン・ギョン(中国名・韓庚)君でした。女房が追っかけをやっていた女の子の一人に訊くと、中国人のハン・ギョン君がこのメンバーに選ばれたことは、中国人としてとても栄誉あることなので、応援の気持ちを伝えるためにここに来たと言っていました。ご苦労様。応援する側も頑張ってますね。

(↓このような白色高輝度LEDを使ったディスプレイボードを作って見送った子もいました。女の子でこんな物を作るのは非常に難しい。感心した。)
    
 同じ「異様な熱気」でも、日本で韓流スターに群がる50歳代のオバサン集団でなくて良かったです。
 今回の旅行は終始好天に恵まれ、日本から着ていった冬服が不要になるほどの過ごし易い気候の地域だったので、悪性の風邪や鳥インフルエンザに罹る心配もなく、時間的にも余裕を持った行動ができたと思います。
 名古屋行き中国国際航空公司CA405便は10:35に出発し、予定通り日本時間13:55に到着しました。私は常滑から中央道の恵那まで高速に乗り、途中仮眠を取って一般国道を走り、夜遅く帰宅しました。
 今回も、旅先でお世話になった皆さんの御多幸をお祈りし、御苦労に感謝申し上げます。
 再見!!
  

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