雪国黄精の
平成18年度 北京・上海5泊6日の旅
 平成18年5月2日。
 今年は私の仕事の都合で正月に休みが取れなかったため、5月連休に女房と中国へ旅行に行って来ました。
 私は4月27日に出発した女房を追いかけ、中部国際空港(写真)からCA406便で出発しました。
 自宅を3:50に車で出発し、名古屋高速に乗るまでは国道18号→国道19号と下道経由で運転し、高速料金を約7,500円節約しました。
 空港近くの民間駐車場(常滑市)には12時に到着し、空港には12:20に到着。5月7日までの駐車料金5,900円を先払いしました。
 上海浦東国際空港です。
 中国へは今までに何回入国したか覚えていませんが、これで9回目ではないかと思います。
 現在、中国の観光目的での15日以内の入国にはビザは要らず、入国手続きも簡単です。
 女房と義父が迎えに来てくれました。
 上海浦東国際空港の、電動磁懸浮列車、略して磁浮車、即ちリニアモーターカー乗り場付近の食堂でまずは会食。
 義父とはこの空港で別れ、私達は国内線で北京に向かいました。
 北京首都国際空港の国内線荷物受取所です。時間は23:00頃になっていました。
 この日の夜は天安門広場からそう遠くない中級のホテルに泊まる予定でしたが、予約手続きをした旅行会社がホテルに伝えた到着時間23:00を過ぎて0:00頃に到着したため、予約がキャンセルされてしまいました。私達の予約した部屋はほかの客に割り当てられ、ホテルは満室でした。急遽女房が歩いて周辺のホテルを探しに行きましたが、やっと見つかった宿は一泊60元の安宿でした。共同便所の糞尿の臭いが廊下に充満し、客室にも臭って来るという凄まじい環境の旅館でした。私は、以前香港で女房と泊まったミラドール・マンションの安宿で巨大なゲジゲジが床を這い回っていた時よりはマシだと思い、文句を言わず3日間お世話になる覚悟を決めました。
 この日は結局宿に着いたのが1:30、寝たのは3:00頃になっていました。
 5月3日。この日は北京市内の「頤和園」を観光しました。
 頤和園はとても広く、売店の集まる「蘇州街」を一まわりするだけで1時間余り掛かりました。私は、頤和園のほかの見学箇所をまわる間、日本から履いて来たスニーカーが異様にきつくなるのを感じ、しまいに痛みが我慢できなくなり、3時間位で早々と頤和園の観光をやめることにしました。
 頤和園の園内で咲いていた花です。
 人混みの中で野生のシマリスが走り回っていたのには驚きました。
 この後、会社の上司に頼まれた掛軸を買いに和平路付近の古玩市場に向かいましたが、私達が6時に到着した時はすでに閉店していました。5時が閉店時間だったのです。途方に暮れてタクシーを拾い、近くに書画を扱う店はないかと尋ねたところ、すぐ近くの栄宝斎付近を案内してもらいました。ここで数軒の書画店を廻り、日本でも入手の難しい老画(数十年以上前の古い書画をいう)の掛軸を買うことができました。
 書画購入の後は、中国の夜市を見て歩きたいと思い、王府井通り近くの夜市に向かいました。
 中国での夜市は、過去にも厦門、香港で見たことがありますが、どれもエキサイティングで、日本では買うことのできない珍しい物が多数見られました。過去の夜市巡りは昼の観光よりも面白い最高のスポットで「外れ」が無かったことから今回も期待して夜市を目指したのですが、残念ながら厦門、香港のような生活用品、服装、電気製品などの出店はなく、小喫店(屋台の立ち食い食堂)しかありませんでした。しかし店の数は30店ほどもあり、大勢の客がごった返していました。私達はここで四川風湯麺や炒麺を食べました。炒麺は醤油味でとてもしょっぱく、お茶なしには食べられませんでした。賑やかさでは満足できましたが、総合評価では北京の夜市は「外れ」でした。
 この後王府井のデパートでやっと靴を買い換えることができました。これで翌日に万里の長城に登る準備はできました。
 この日も帰りは遅く、11:00頃に旅館に戻り、0:00頃に寝ました。翌日は万里の長城への観光ツアーのため3:30には出発しなければなりませんでした。
 宿の老板は私達を大変気に入ったらしく、空き部屋があるにも関わらずこの日の夜遅く宿を探しに来た一見の客(一人の男性)に対して1泊180元と吹っ掛けた価格を提示し、客を泊めようとしませんでした。一方私達には少しきれいなシャワールームを1回5元で使わせてくれました。
 5月4日。疲労と感動の「運命の日」が始まりました。
 最初の行先は、万里の長城の「八達嶺」です。一昨日の夜遅く女房が旅館の老板(店長)と長い話の末に決めた予約コースです。
 私達は、八達嶺まではバスに乗っても2時間程度で着くことは分かっていましたのでなぜ4:00にバスに乗車しなければならないのか理解できませんでした。
 旅館からバス乗り場に向かうタクシーに乗車中、天安門広場の前を通過しかかったとき、朝4時だというのに天安門広場には軽く1万人を超える群集が集まっていました。見ているうちに次々とバスやタクシーに乗り群衆が増えて来ます。大勢の警官やパトカーも出動し、何やら物々しい雰囲気でもありました。タクシーの運転手に聞くとこれは毎朝日の出の時刻に行われる国旗の掲揚セレモニーだということでした。北京で1年間過ごしていたことのある女房も、なぜかこのセレモニーのことを知りませんでした。
 バスターミナルに着き、観光バスに乗りました。車内では間も無くアナウンスが始まり、最初に国旗掲揚セレモニーの見学が行程に入っているということでバスは天安門広場の前に停車しました。発車時間が異様に早い理由がこれで分かったと同時に、この大群衆に混じってセレモニーを見学できることに興奮しました。
 バスのアナウンスは続き、「バスを降り、見学後は近くの大型車駐車場に停車したこのバスに帰って来て欲しいので、バスのナンバーの下3桁615、いいですか、615を覚えていて下さい」とのことなので、これをメモして約100m離れた天安門広場に行きました。
 国旗掲揚事体は何も変わったことはありませんでした。国旗の掲揚に合わせて盛大に国家が吹奏され、みんなが大合唱するのかと思いましたが、どこかで生演奏されているラッパの音が微かに聞こえるだけで、観衆はガヤガヤ言いながら天安門広場に立てられた10m位の旗竿に国旗が掲揚されるのを見ているだけのもの。それが終わると観客は何も無かったかのように解散していきました。大きな拍手も歓声もありませんでした。
 この後、女房がトイレに行きたいと言ったので私も付いて行きました。天安門広場には地下にトイレがあるというのは本当でした。
 女房が用を足している時間はそれ程長くはありませんでしたが、バスターミナルに行ってみてもバスが停まっていませんでした。近くに停まっているバスのナンバーをすべて調べましたが、下3桁に615と付くナンバーのバスはどこにも停まっていませんでした。こうして25分近く待っていましたが結局バスは見つかりませんでした。私達は観光ツアーから取り残されてしまったのです。幸いにツアーの料金は払っていなかったので金銭的な損はありませんでしたが、この日のスケジュールを始めから組み直す羽目になってしまいました。
 地元の人に聞くと、6:30から出発する万里の長城への観光バスのチケット売り場が天安門広場の隣の毛主席記念堂の近くにあるということなので、私達は歩いてチケット売り場へぶらぶらと歩いて行きました。まだ時間は6:00でした。
 北京に来て私が良かったと感じたことは、人々の話が割合と聞き取れるということでした。私は中国語の普通話(標準語)を学習していますが、中国で今までに訪れた地方はすべて標準語を話す人がいなかったのです。(上海語や廣東語、また「没有」や「到了」を日本語と同じ発声で「めよ」・「どら」などと話す方言ばかりでした。)私が話す普通話は分かってくれますが、人々の話が聞き取れず苦労しました。
 やっとここに来て私の語学力が役立つことが実感できました。
 毛沢東の遺体が安置される毛主席記念堂の入口に設置されている彫像です。いつ頃彫られたものか分かりませんが、屋外に設置されていながら苔や汚れ、風化がありません。よほど入念に手入れが欠かさず行われているのであろうと感心しました。政府機関の建物も、外壁の汚れがどこにもありませんでした。
 彫像は、労働者を表したものです。共産主義の中国では政治家の次に労働者が偉いのです。
 私達はバスターミナルに6:40頃到着しました。ここからは北京市周辺の数種類の1日観光コースのバスが発着しています。私はここに万里の長城「司馬台」行きのツアーがあることに気付きました。
 北京から行ける万里の長城の有名な見学箇所は、八達嶺・慕田峪・司馬台の3つですが、観光地として整備、修復されている八達嶺・慕田峪よりも司馬台は人気はありませんが、明代の城壁がそのまま残されており、長城の景色も3箇所の中では最高だということを私は知っていましたし、ほかの2箇所の北京からの距離が約70kmであるのに対し司馬台は120kmもあり、朝早いこの時間ならば、遠距離への日帰り旅行には絶好のチャンスであると女房を説得し、想いもよらぬアクシデントからは一転して、願っても見ない期待ワクワクの旅行スケジュールが決定しました。
 バスは7:00にターミナルを出発し、途中の中継ターミナルで中型バスに乗り換えた後は北京首都国際空港方面に高速道路を走行し、北京市東北の蜜雲県に向けて進みます。1時間半程走ると農村風景が広がります。羊を放牧している農民も見ました。
 沿線の風景は非常に変化に富み、先程の様な農村が約20km続いたかと思えば左の写真の様な整備の進んだ都市が急に現れるという変化の連続でした。
 バスは山岳地帯を奥深く走り、きついカーブの連続になります。その中でトロトロ走っている三輪車やバイク、低性能な車を強引に追い越していくものですからバスの揺れはひどいものです。
 到着30分前から、10代〜20代前半と見られる可愛いバスガイドさんがいよいよ司馬台長城のガイドを始めました。激しく揺れるバスの中でバランスを崩すことも無く、流暢にガイドを続けます。バスの到着時刻が予定より30分早くなるとアナウンスすると、乗客から拍手と歓声が沸きあがりました。これは同時に、バスガイドさんの業務に労いを表したものでした。
 写真は、喜んでバスから降りてくる乗客です。
 バスの形式は、厦門の金龍(King Long)客車社の製造で、北京、上海では非常に多く見掛ける中国産最高級のバスです。
 ←これがバスガイドさん!!
 小柄でアイドル歌手みたいな顔をしていました。
 さて、司馬台長城の到着時間は11:25でしたが、バスの出発時間は14:10ということでした。この2時間45分の時間内で長城への移動、昼食、観光を済まさなければならないというのはショックでした。まず私達は食堂で昼食を摂り、そこで今日のスケジュール調整会議を行うことに決めました。これは、時間が11:35とまだ昼食には早く、食堂には客が2〜3人しかおらずすぐに食事ができると考えたためです。
 観光案内板には、ここから行くことのできる長城の地図が描かれているが、私が注目したのは東端の未解放区という場所だ。日本で見た観光ガイドブックには、司馬台長城の望京楼からの眺めは素晴らしいと書かれていたので、そこまで足を運んでみたいと思っていたのだが、数年前に周辺箇所で大規模崩落があり、その前後にも崩落で死者が発生したことから立ち入り禁止になってしまったらしい。それにしても、見学可能な箇所の城楼(見張り台)の名前が東1、東2・・・と番号で呼ばれる味気無い名前で来て将軍楼、東方神台の後は猫眼楼!、仙女楼!、望京楼!である。このリリカルでユニークなネーミングが私の好奇心を刺激した。未解放区に足を踏み入れなくとも、東端までは是非たどり着き、その先の写真を撮影しようと決心した。この機会を逃したら一生ここに来ることは無いはずだからだ。
 食事を25分程度で終え、水筒にお茶を詰め、出発準備は完了です。ここで12:00です。
 食堂から歩いて2分のゴンドラリフト乗り場ですぐにリフトに乗りました。聳え立つ山の尾根に長城と城楼(見張り台)がどこまでも連なっています。実に雄大で神秘的な景色です。中国語には「雄偉」という形容詞がありますが、正にこの様な風景こそが雄偉です。
 私達の目指す長城は、この写真からも分かるようにまだ遥かに先です。リフトはこの後12:20頃終点に到着しました。
 リフトに乗らずに頂上に徒歩で登ることもできますが、そんなことをしたら日が暮れてしまいます。
 ここからはケーブルカー(L=200m)に乗るか、20分の徒歩かの選択になります。私達は金で時間を買うために迷わずケーブルカーに乗りました。ケーブルカーは30人乗りの列車が上の駅にワイヤーで接続されており、ウインチで巻き上げて移動させる方式です。
 写真は下の駅から軌道を見上げた様子です。
 意外にも上りの乗客は私達2人のみで、私達が乗車すると間も無く発車しました。
 上の駅への到着時間は12:30頃でした。
 ここからは徒歩で登るしか方法はありません。
 登山道の様な険しい道を20分程掛けて登ります。待ちに待った長城へはもうすぐです。
 
 12:50頃、遂に長城に登りました。
 とても良い天気。気持ちいい汗。上空の黄砂のため遠くまでは見えませんでしたが、概ね視界良好。観光客もそう多くありませんでした。感激で疲れも吹き飛びました。
 長城に登って初めて山の反対側を見ることができました。この写真では右側が北、左側が南(私達が到着したバス乗り場方向)ですが、南側の荒涼とした乾燥土壌とは正反対で、北側は樹木が生い茂る緑地が続いていました。
 食堂で水筒に詰めた茉莉花茶(ジャスミン茶)をここで飲み、東8楼という名の城楼から私達は東9、東10・・・と長城を東に向けて歩き出しましたが、女房が疲れて歩けないというので、女房を東10楼で休ませ、私一人が未解放区へ急ぎました。
 私は駆け足で一気に東端の東方神台に着きました。
 前方が未解放区であるという意味の看板が設置されています。
「前方の長城は未開放地区につき、よじ登ることを禁ず。違反者には200元の罰金を処す。安全責任は旅客自らで負うこと。」
 看板の隣に、20代位であまり偉そうに見えない、服装の乱れた田舎臭い風貌の保安員が、自分は偉いのだという顔をして椅子に腰掛けていました。
 それにしても、ここから先の長城の何と狭いことでしょう。人が歩ける幅は30cm位しかなく、壁と呼んだほうが良い程です。これが万里の長城で最も急峻な箇所にある構造物なのです。
 未解放区をズーム撮影しました。(右側が南。)山の頂上が望京楼という城楼のある方向です。その右側(南側)の斜面は90度になっています。数年前はここが旅行客に開放されていたというのですが、さぞかしスリルのある観光ポイントであったことでしょう。
 こうして私は未解放区をこの目に焼き付け、東方神台に足跡を残して来たのでありました。
 なお、ここからの帰路で未解放区まで約100mの地点で、フランス人らしい顔をした30人程の男女の集団が、長城の北側からロープを使って下に降りていました。何とこの場所は長城の壁の高さが3m程度しかなく、いとも簡単に昇降できるのです。私はこれを見て「そうか!!こうすれば未解放区へは保安員の目を盗んで往来できるではないか!外国人でありながら司馬台長城を研究してるな〜〜!!」と思いました。この外国人に付いて行けば望京楼はおろかその先へも行ける訳です。(こんな危険を犯すより、200元:約3200円の罰金くらい何だ!という覚悟で堂々と未解放区へ侵入した方が無難とも思いますが)しかし残念ながら私にはもう時間がありません。外国人集団の安全を祈って足早に女房の待つ東10楼へ帰りました。
 途中、城楼を観察していると面白いことに気付きました。
 大抵どの城楼にも、足元付近の積石が極端に風化、浸食されているのです。通行人に聞くと、昔の守衛が暖を取ったり(北京の冬は寒い!ましてやここは乾燥した山岳地帯だ。)調理をするために火を炊いた跡であり、この箇所の積石だけが熱で損傷しているのだということでした。
 なお、城楼は経年による痛みが激しいところがあり、天井の積石が今にも崩れ落ちそうな箇所が数多くあった。頭にでも落下したらとても危険だ。私は、この様な所は安全を確認してから走って通過した。
 どれを見ても驚かずには居られない景観の連続。気が付くと既に13:25となっていました。バスの発車まで40分余りです。
 まだ観光したいところは数多くありましたが、残念ながら帰りの時間が近づいてしまいました。急いで山道を下り、またケーブルカーに乗りました。
 写真は右側が北です。
 デジタルカメラは中国人旅行客にはかなり浸透していた。昨日訪れた頤和園でも、記念写真を撮っている人の8割以上がデジタルカメラのユーザーだった。使用されていたデジタルカメラのメーカーを私が調査した限りではソニーが6割、ニコンが2割、その他日本製が1割、韓国製が1割であった。
 誰も乗っていないケーブルカーが下の駅から登って来ました。下りもまた乗客は私達2人のみ。正に貸切状態。この後すぐにゴンドラリフトに乗り換え、14:02にゴンドラリフトを降りました。
 バスターミナルまで歩いて5分。計算通りの効率的な時間の使い方で14:10発のバスに間に合いました。
 バスは17:30頃北京に着き、北京市内で夕食を摂った後、女房は古くからの友人と面会。私は理髪店で日本の1/5の価格で調髪、毛染めをしてもらいました。私は中国に来ると必ず調髪をしてもらいます。浮いた費用で相当高級な料理が食べられる楽しみがあるからです。
 この日は11:30頃と少し早く旅館に着き、1:00頃に寝ました。
 5月5日。北京観光の3日目。今日の夕方には北京を離れなければなりません。
 一昨日の期待外れの夜市で日用品、服装品の安売り店を見ることができず、ストレスの溜まった私達の今日のスケジュールは、協議無く瞬時に合意、決定しました。
 旅館からバスに乗り、45分掛けて庶民的な日用品を扱う京温服装市場に着きました。
 上海や香港、シンセンでも日用品市場は実に面白い観光スポットでしたが、ここの人の多さは今までで最高でした。
 写真は、バス停から京温服装市場に向かう歩道橋の上です。人々が興味深そうに眺めているのは歩道橋上で営業する露天商です。
 上海でも見掛ける仔うさぎ売りです。日本では見られない光景なので、迷わず撮影しました。この歩道橋にはこのほかにもトランプ、健康食品、活きた亀、海賊版VCD、アクセサリーなどを地べたに陳列して売っていました。
 京温服装市場の建物の中です。ここは女性用品のフロアーです。
 私は、ベルトが古くなったのでまず男性用品フロアーでベルトを買いましたが、それ以外に欲しいものは無く、女性用品の方が見ていて面白いので、女房の買い物に飽きることなく付いてまわりました。ここでは日本で着ても全く遜色の無い衣服や装飾品、化粧品の店が多数出店されています。以前旅行した広東省シンセンの男人城、女人城店内の出店の多さも衝撃的でしたが、ここはそれを超えています。この市場を一回りしただけで、香港で服装品を見てまわる程の価値があると思います。
 このフロアーで私が目に留めたのが、紅牛、即ちレッドブルという缶入りの保健飲料です。外資メーカーの製品です。日本では現在市場調査段階で実験発売中のようですが、私は見つけた瞬間に「我要這個!多少銭?」と言って衝動買いしました。価格は6元。味は大変気に入りました。薬臭い飲料が好きな人は間違い無くウマイと言うでしょう。容量が300mlと多目なので、日本の栄養ドリンクと違ってすぐに飲み終わってしまうという切なさを感じません。
 女房の北京での買い物はすべて終わりました。
 買い物の後は楽しく昼食を摂ろうと、近くの建物の3Fにある大食堂に入りました。
 写真では奥行きが良く分かりませんが、2,000uを超えるフロアーに50店以上の食堂のカウンターが両側に並んでいます。どのテーブルもぎっしりと客で埋まっています。客は5,000人はいます。私は今までに、こんな大勢の人間が一処で食事をしている光景を見たことがありませんでした。上海でもこの様な大食堂はあちこちにありますが、ここの人の多さには驚嘆するばかりでした。
 結局、空いている席が無かったことと、人が多くて短時間ですべての店のメニューを見てまわるのが不可能だったため、饅頭を数個買ってこの食堂から出て来ました。
 この後またバスに乗って旅館に帰り、荷物をまとめて出発しました。私達がタクシーに乗るのを旅館の老板が最後まで暖かく見送ってくれました。約10分タクシーに乗り、北京首都国際空港へのバス発着所に着きました。時刻は14:00頃でしたが、この付近の食堂でまともな昼食を摂ることにしました。食堂は香港料理専門店で、日本のラーメンに似た湯麺とわずかな冷菜、人参茶という質素なメニューで腹ごしらえをしました。結果としてここでの昼食が北京で摂った最高級の食事でした。
 北京首都国際空港に15:00頃に到着し、搭乗手続きを早々と終えましたが、私達の乗る飛行機に遅れが出て空港に到着できなくなり、16:30の出発が16:50になり、それでも飛行機が来ないため別会社の飛行機が手配され、17:30に出発しました。これで上海虹橋空港に着いたのが19:30頃でした。
 上海では早速、義祖母宅を訪問。義父とも再会し、義祖母の作ってくれた夕食をご馳走になりました。

 5月6日。
 この日の日中の上海市での私達の行動は、プライベートな要素が強いため公開できません。ごめんなさい。
 16:00頃、上海で土産を買おうと思い、豫園近くに行き工芸品を買い、今回の旅行最後のビッグイベントである「買い溜め」をしに外資系のスーパーマーケット「欧尚」に向かいました。
 さて、中国でのクルマ事情を北京と上海で観察して来ましたが、明確に気付いたことは次の2点です。
 1. 韓国車がタクシー用に激増した。
 2. シトロエンのシェアが激増した。
 昨年1月に上海を訪れた時は韓国車はあまり見掛けなかったのが、今回はタクシー用として大幅に普及していたのには驚きました。北京、上海のタクシーの3割以上は韓国車でした。特にソナタという車種のデザインの美しさは目に留まりました。代わりにサンタナの初代モデルは少なくなり、後継車のサンタナ2000やサンタナ3000が見られました。シトロエンも大衆車として普及度を上げています。私は今まで中国で多分シトロエンを見たことがあったのでしょうが、記憶に残らないでいた昨年までの状況からは一変するほどの変化がありました。
 また、昨年と比べると日本車(一番多かったのはホンダ)、アメ車、ドイツ製高級車はあまり見掛けなくなりましたし、街頭でのこれらの車の広告も記憶に残っていません。
 上海市長陽路にあるスーパーマーケット「欧尚(Auchan)」は、中でサッカーの公式競技ができそうな程の広大な売場面積を持つスーパーマーケットです。1Fは服装売場で一部が倉庫として使用されているようで、売場面積が少なくあまり見るものがありませんが、2Fは食料品、家電の売場を併せ持っています。売場が広いので店員はトランシーバーを携帯し、ローラースケートを履いて移動します。
 前年の旅行で私達がここで買物をした時は、土産を大量に買うための旅行最後のビッグイベントでした。買った商品の重量が40kg位になり、2人では持ち切れず、400m位離れたホテルに荷物を運ぶためにわざわざタクシーを拾って運搬したのです。中国の食料品は安く、日本よりも美味しいですから、こういう所で買い溜めをした方が日本に帰ってからの節約になるのです。
 今回の買物では、会社の同僚へのお土産のほか、私がどうしても欲しい物を買うことが目的でした。それは全脂粉乳でした。
 3年前に上海に来た時、私はスーパーで全脂粉乳が売られているのを見て衝動買いしました。全脂粉乳は私が小学生の頃はまだ日本で売られていて、水に溶かして牛乳として飲むほかに、牛乳に溶かして濃厚な旨味を味わったりして飲んだ経験が懐かしく思い出されたのです。そのうちに日本で全脂粉乳は手に入らなくなり、脱脂粉乳(スキムミルク)では全然マズく代用品にもならず、何とかならないかと常々思っていました。
 前回上海で買った全脂粉乳は間違い無く本物でした。この時の旅行では、家に帰ってまずしたことは牛乳に全脂粉乳を混ぜて飲んだことでした。小学生時代からの時間の流れと格別な美味しさをじっくりと感じました。
 そして今回の旅行では3年振りに全脂粉乳を買って帰れるのです。スーパー欧尚の店内には脱脂粉乳、全脂粉乳、老年栄養補給用の粉乳、児童栄養補給用の粉乳、乳児用の粉ミルクなど様々なカテゴリーの製品が大量に陳列されていました。私はここで全脂粉乳を全メーカー、400g入りの袋で計6袋購入しました。
 ほかにも日本では買うことのできない薬草酒(椰島鹿亀酒、養命酒に似た味でとても美味しい!!)、お菓子とDVD(正規品)を買いました。北京にあったレッドブルは、残念ながらここにはありませんでした。これはまた次回の旅行に期待します。
 今回の買い溜めでは、前回程の重量にはならず、合計15kg程でしたが、不必要なものは買わず、適度な土産物を買い揃えることができたことで私達は満足して19:00頃ホテルに帰りました。
 最後の夜は、義祖母家族・親戚との楽しい会食となり、次に再会できるまでの親戚一同の健康、健勝を約束しての別れとなりました。

 5月7日。朝5時に起床して仕度を始めると、間も無く義父が揚げたての油条(揚げパンのようなお菓子。日本には無い、私の大好物。)を持って私達の泊まっているホテルに来てくれました。
 飛行機の出発は10:30なので、早く準備をして空港に向かいなさいとのこと。
 私達は客室で油条と牛乳を飲むだけの簡単な朝食を摂り、7時にホテルからタクシーで上海浦東国際空港へ向かいました。義父は安全検査のカウンターまで私達を見送ってくれました。優しい親切なお父さん。どうもありがとう!!
 中部国際空港行きのCA405便は無事定刻に到着し、私達は自家用車で夜遅く妙高市の自宅に着きました。
 私も女房も翌日から出勤でしたが、旅行疲れは1週間抜けませんでした。
 旅先でお世話になった多くの方々に感謝します。ありがとうございました。多謝!再見!

あとがき
 帰国後、司馬台長城に更に興味を持った私は、インターネットで中国語による各種の情報を収集した。ある旅行ガイドのHPでは未解放区の城壁を危険度タップリの直立姿勢で登る不届な旅行客の画像をはじめ、望京楼へと続く「天橋」と呼ばれる長城などの貴重な画像を見ることができた。また中国国内のブログには、保安員の目を盗んで未解放区を完全踏破したというツワモノの旅行記なども発見できた。この人物曰く、地元農民に金を払えば安全な近道を教えてもらうことができ、易々と未解放区に侵入できるそうである。

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